「主イエスは復活なさった」  04.04.11
                     マルコ16:1〜8

 イースターの朝、主イエスを納めていた墓の石は転がされていました。

 @「石」、それは行く手に立ちはだかる「困難の石」でした。誰でも、その
ような石と出会うことが、しばしばあります。自分ではどうする事もできない
石です。それを転がしてくださる神さまの恵みの働きを知らされます。
 イースターは神さまが私たちを愛してくださったからこそ起こりました。
<その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、その御子と一緒にすべての
ものを私たちに賜らないはずがありましょうか>《ローマ8:32》イースターの
出来事を通して、困難を転がし、必要を与えてくださる神への信頼を深める
のです。

 Aこの「石」は、「死の石」ともいえます。しかし、その石を神さまは転がされ
ました。死の石の脇を通り過ぎ、イエスさまに出会います。主イエスの復活に
よって、死が私たちと主イエスの結びつきを断つことはできないことが明らかに
なりました。主の復活だけでなく、復活の主と共に進む私たちにも、死の石を
越えて、永遠の命への道が開通したのです。

 B「罪の石」が転がされました。イエスさまが葬られたのは、私たちの罪を
担って十字架にかかられたからです。その主イエスの墓の入り口にある石は、
私たちの罪を表すかのような大きな石であり、ここに罪が詰まっていると
言わんばかりの石でした。しかし、イースターには、その石が転がされ、
取り除かれたのです。

 十字架が全うされて、罪の赦しが与えられたからです。
 イースターの朝、石が転がされたことを通して、神が困難の石を除いて
生きる道を開き、死の石を除いて永遠の命への道を開き、罪の石を除いて
神の民として生きる道を開いてくださったことを知らされます。
 その石を見た時、女性たちはそれを受け入れられず、恐れ、逃げ出しました。

 しかし、その不信仰な姿を持つ者が、最後には主に捕らえられていきます。
罪と死の石がないのですから、主が私たちを捕らえ、導くことを妨げるものは、
もうありません。